1月12日は『HAL 9000』の誕生日

Randy Alfred


宇宙飛行士デビッド・ボーマンは、HAL 9000の中枢部を取り外そうする。Courtesy MGM

1992年(小説版では1997年)1月12日、『HAL 9000』が稼働可能になった。HAL 9000は、1968年のSF映画およびSF小説2001年宇宙の旅』に登場する宇宙船『ディスカバリー号』に搭載されたマスター・コンピューターだ。 HAL 9000はその後、人工知能に関する人々の夢と悪夢を無数に生み出す存在となった。

映画のなかで、宇宙飛行士デビッド・ボーマンは、HALの異常に気づき、HALの高度な認識機能を制御するハードウェア・モジュールを取り除こうとする。そのプロセスに従って、HALは、開発当初の状態に逆戻りしていく。そして、一番最初に記憶したデータを不気味に唱え始める――「私は、 HAL9000型コンピューター、製造番号3号。私は、イリノイ州アーバナのHAL工場で、1992年1月12日に作動開始された」

HALという名称については、小説の第16章に、HALは「Heuristically programmed ALgorithmic computer(ヒューリスティック・プログラム化されたアルゴリズム的コンピューター)」の略だ、とはっきり書かれている。だが、映画を観た多くの観客は、アルファベットで「IBM」のそれぞれ前の文字を組み合わせてHALと命名されたと考えた。

原作者のアーサー・C・クラーク(Arthur C. Clarke)氏は、著書『失われた宇宙の旅2001』の中で、米IBM社がこの映画にいろいろと協力してくれたことを思うと、困惑させるものだとしてこの説を一蹴している。「その偶然に気がついていたら、HALという名前を変更していたことだろう」と。[本作に登場するコンピューターの設定や画面はIBM社が協力しており、当初は随所にIBMのロゴがあしらわれていたとされる。しかし、「コンピュータが人間を殺害する」というストーリーを配慮して、ロゴはすべて除去された。唯一取り残されたIBMロゴが、スペースシャトルの計器盤に付いている]

[小説『2010年宇宙の旅』の中にも、チャンドラー博士自らIBM説を否定するくだりがある。しかし、クラーク氏は後年になってからIBM社がこの説を迷惑がっているどころか自慢しているらしいと聞き及び、1997年に書いた完結編『3001年終局への旅』のあとがきで、「今後は、この説の間違いを正す試みを放棄する」と述べている]

HALの当初の名称は、戦術、知恵、豊穣の神と同じ「アテネ」だったが、監督のスタンリー・キューブリック(Stanley Kubrick)氏が、恐ろしいスーパー・コンピューター(日本語版記事)には、男性の人格と声の方がふさわしいと判断した。そして、最初の俳優の声は感情がこもりすぎているとして、最終的には、カナダのシェークスピア俳優、ダグラス・レインの声が選ばれた。


HAL 9000が誕生した場所、イリノイ州アーバナには、イリノイ大学と、1986年設立の米国立スーパーコンピュータ応用研究所(NCSA)がある。NCSAは、世界初のウェブブラウザーMosaic』を開発したことで知られている。

映画は、1968年4月3日(米国時間)にニューヨーク市で封切られた。制作費は[予算の600万ドルを超過し、]1050万ドル(現在の貨幣価値に換算すると6400万ドル)だった。

New York Times』紙は当時、「眠気を催すというか、きわめて退屈だ」と評している。キューブリック監督はすぐさま、映画から19分間のシーンをカットし、3日後に最終版が初公開された。

[HAL9000の反乱の要因やラストの展開も、小説版は論理的に説明づけられているのに対し、映画版は謎めいた展開となっている。当初は、全編にわたってストーリーを解説するナレーションを入れる予定であったものが、過剰な説明が映画からマジックを奪うことを恐れたキューブリック監督が、これらをすべて削除した結果、何の説明もない映像が映画全編にわたり続くことになった。/公開当時、日本のSF作家の反応はかなり冷淡で、筒井康隆氏は「大愚作」と断じた後、星新一氏から「退屈だったなあ」と言われたとエッセイ『欠陥大百科』に記している。]

Source: The Making of Kubrick's 2001, ed. Jerome Agel, Signet, 1970+Wikipedia

[日本語版:ガリレオ-矢倉美登里/合原弘子]


WIRED NEWS 原文(English)